昭和44年05月22日 夜の御理解



 大里教会の教会長先生が亡くなられました。明日告別式があるんです。それで玉串料を包んだり、若先生とそのことを相談して、玉串料を包んで麻の紐でこう結びますねありゃ。そして私が御玉串と書かせて頂こうと思ったら。神様から頂く事に、あのうこう墨をするのにね涙がこの中に落ちて薄うなていったと頂くんですよ。このうこれはね私共全然知りませんし、大里教会と言うてもあすこは、城島教会の出社で、まぁ縁のいわば薄ぃ教会ですし、別にお付き合いがあった訳でもないけれども。
 久留米の信愛会のあれでお通知を受けとりましたもんですから、まぁつとめて明日誰か告別式に出らなりゃなるまいというのでしとったんですよね。したらあのうそんなこと頂いてから、はぁやっぱそういうひとつの思いと言うものが、何をするにも必要だなぁとね。こういう時にゃどういう心持ちでと、あぁいう時にゃあぁいう心持ちでと、その心持ちが信心になっとらなければならない。その心持ちが神様に通わなければならない、何をするにもこれはお祝い事の場合でも、そうした悲しみの場合でもね。
 例えばあのうこれはもう何をするにも信心になれよととこう、何事にも信心になれよと仰る事は、そんな事だと思うのです。私善導寺のあのおばあちゃまが亡くなられた時に、の五十日祭の時の、御結界の奉仕を、私が奉仕をしておったんです。でもう御招待がしてありますから、各教会から沢山先生方がお参りになられましたが、皆んなあのう御玉串料は持ってみえますけれども、御初穂を持って見える人が、もう先ずいなかったので、私驚いたんですね。
 教会にやらせて頂くのにやはりお初穂をせないといけないと私は思った、だから御初穂と御玉串料を必ず来るもんだと思ったところが、皆んな先生方は御玉串だけを持ってみえるんですよね。ですから明日いらんのかなと、私はそのう思わして頂いとったら、又頂くのがあのね、やはり御初穂も作っていかなきゃいかん。そして後々が立ち行くようにと言う事を願えということを頂くんですよね。ですからもう本当にあのう、形式とかお付き合いとかいうような中にあっても、やはり心が神様に通うていかなければ。
 折角例えば五百円でも千円でも、あのう御霊前やらお初穂を出して貰うのでございますから、それをただお付き合いとか形式に終わったんじゃ、馬鹿らしい訳ですね実をいうたら。ですからそのう御玉串の時には、それこそ御玉串と書かせて頂くのも、いくら墨をすっても涙で薄うなるという位、いう様な心持ちと。家族の者の事を思うての心持ち、という様なものが必要だと、言う風に私感じたと同時にね、お初穂の袋もそうです。そりゃもう玉串料だけもって告別式に出ればいいですけれども。
 そこを何というても教会なんであるね。ですからやはりそこにはお初穂を奉らなならんが、しかもお初穂が例えば教会だからお初穂をいくらかせにゃならんと言うのではなくてです、後々のそこの教会が立ち行くように言わば願えと。為のお初穂でなかならければならんと言う風にそれぞれに頂いて、そのことを若先生に私しゃ「明日行くならこういう心持ちばい」と言うて、お初穂と玉串料を作ってあのう持って、ちょうど御結界奉仕しておりましたから。
 本当にもうひとつひとつ、どれもう位私達がそのう目が荒い信心をしておるか、という事が分かるですね、というて私が申しましたが。本当に何をするにも信心になれよと私ね。お初穂ひとつお付き合いの教会だから、もうお付き合いの積りのお初穂、形もそうですけれどもですね。そんならそこに何かひとつの祈りを持ってですね、教会長先生が亡くなられたんですから、その教会が後々立ち行くように、又は、玉串料を奉らして頂くならば本当に親身なふうに思うたらです。
 それこそま玉串料書かして頂いても、そのすった墨が薄うなる様な、そういう情感を込めての玉串料でなくてはならんと言った様な事を頂いて、ほんに何事にも信心になれといつも頂いておる思い、思うておるけれどもそういう、形式的な付き合いと言う時にゃ、もう信心が抜けておる事に驚きます。何事にも信心になれよと仰るのですから、どういう様な場合でもです、今日はどういう心持ちでそこへ何かねせて頂いたらよいか。その心持ちが神様に通う様な、心持ちでなからなきゃいけないと言う事なんですよね。
   どうぞ。